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【ウルトラマンのような先住民族】フエゴ島のセルクナム族 – 消えゆく文化の記憶

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セルクナム族は、南米大陸の最南端に位置するフエゴ島に住んでいた先住民族です。彼らは、約1万2000年前から島に住み着き、狩猟採集を中心とした独自の文化を築いてきました。しかし、19世紀末からのヨーロッパ人の入植や虐殺、疫病の蔓延により、20世紀初頭までにその文化は壊滅的な打撃を受けました。現在、セルクナム族の純血の子孫はわずかに残るのみですが、その文化的遺産は人類学者や芸術家によって記録され、現代に伝えられています。

フエゴ島は、南米大陸の最南端に位置する島で、チリとアルゼンチンの国境にまたがっています。島の面積は約4万8000平方キロメートルで、日本の九州よりやや大きい大きさです。島の大部分は山岳地帯で、最高峰はダーウィン山(2488m)です。気候は亜寒帯海洋性気候で、年間を通して冷涼で湿潤です。島の大部分は草原や低木林に覆われ、豊かな野生動物が生息しています。

セルクナム族は、約1万2000年前にフエゴ島に移り住んだと考えられています。彼らの言語は、チョノ語派に属する孤立言語で、他の南米の言語とは系統的に異なります。セルクナム族は、主にグアナコ(ラマの一種)の狩猟と採集を中心とした生活を送っていました。また、独自の精霊信仰や神話体系を持ち、ホインと呼ばれる成人男子の通過儀礼を行っていたことでも知られています。

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セルクナム族の起源と歴史

セルクナム族の起源は、約1万2000年前にさかのぼります。彼らの祖先は、当時まだ陸続きだった南米大陸の最南端からフエゴ島に渡ってきたと考えられています。島に住み着いたセルクナム族は、狩猟採集を中心とした生活を送り、独自の言語と文化を発展させていきました。

セルクナム語は、チョノ語派に属する孤立言語で、他の南米の言語とは系統的に異なります。また、セルクナム族は、父系制の社会構造を持ち、拡大家族を基本単位としていました。彼らは、精霊の存在を信じ、シャーマンを通じて精霊との交流を行っていました。

セルクナム族がヨーロッパ人と初めて接触したのは、1520年にマゼラン海峡を発見したフェルディナンド・マゼランの航海の際でした。その後、16世紀後半からは、イギリスやオランダの探検家や商人が島を訪れるようになりました。18世紀末からは、ヨーロッパ各国の船が定期的に寄港するようになり、セルクナム族とヨーロッパ人の間で交易が行われるようになりました。

しかし、19世紀に入ると、状況は一変します。1880年代から、チリとアルゼンチンの入植者がフエゴ島に流入し始め、セルクナム族の狩猟地を奪っていきました。入植者とセルクナム族の間では衝突が絶えず、多くのセルクナム族が虐殺されました。また、天然痘などのヨーロッパから持ち込まれた疫病が蔓延し、セルクナム族の人口は急激に減少していきました。

セルクナム族の文化と生活

セルクナム族は、主にグアナコの狩猟と採集を中心とした生活を送っていました。グアナコは、ラマの一種で、フエゴ島に生息する最大の陸上動物です。セルクナム族は、弓矢や投石器を使ってグアナコを狩り、その肉を食料とし、皮を衣服や住居の材料としていました。また、彼らは、キノコや果実、海藻なども採集していました。

セルクナム族の社会は、父系制を基本としていました。彼らは、拡大家族を基本単位とし、数家族が集まって集落を形成していました。集落では、家長が最も重要な役割を果たしていました。また、セルクナム族は、精霊の存在を信じ、シャーマンを通じて精霊との交流を行っていました。シャーマンは、病気の治療や狩りの成功を祈願するなど、重要な役割を果たしていました。

セルクナム族は、独自の芸術や工芸も発展させていました。彼らは、体に赤や白、黒の塗料で幾何学的な模様を描く「ボディペインティング」を行っていました。これは、精霊との交流や儀式の際に行われ、社会的地位や所属集団を示す役割もありました。また、セルクナム族は、木彫りや織物の技術にも優れていました。彼らは、動物の骨や木を材料として、仮面や儀礼用具を製作していました。

ヤーガン族とは何が違う?

セルクナム族とヤーガン族は、ともにフエゴ島に住んでいた先住民族ですが、いくつかの重要な違いがあります。

言語

  • セルクナム族:チョノ語派に属する孤立言語を話していました。
  • ヤーガン族:ヤーガン語を話していました。これは、アラウカン語派に属する言語です。

生活様式

  • セルクナム族:主に内陸部に住み、グアナコ狩りと採集を中心とした生活を送っていました。
  • ヤーガン族:主に沿岸部に住み、カヌーを使った漁労や貝類の採集を行っていました。

社会構造

  • セルクナム族:父系制の社会構造を持ち、拡大家族を基本単位としていました。
  • ヤーガン族:母系制の社会構造を持ち、小家族を基本単位としていました。

信仰・儀式

  • セルクナム族:ホインと呼ばれる成人男子の通過儀礼を行っていました。
  • ヤーガン族:チエフースと呼ばれる成人女子の通過儀礼を行っていました。

歴史的経緯

  • セルクナム族:19世紀末から20世紀初頭にかけて、入植者との衝突や虐殺、疫病により、壊滅的な打撃を受けました。
  • ヤーガン族:19世紀半ばから宣教師との接触が始まり、伝統的な生活様式が急速に変化しました。

このように、セルクナム族とヤーガン族は、言語、生活様式、社会構造、信仰・儀式などの点で異なる文化を持っていました。また、近代化の過程で直面した困難にも違いがあります。しかし、両者ともにフエゴ島の先住民族として、独自の文化を築き、その消失の危機に瀕しているという点では共通しています。

ホインの秘儀 – セルクナム族の神秘的儀式

セルクナム族の文化の中で最も神秘的な儀式が、「ホイン」と呼ばれる成人男子の通過儀礼です。ホインは、少年が大人の男性として認められるために行われる儀式で、数週間から数ヶ月にわたって行われました。

ホインの儀式は、秘密結社としての性格を持っており、女性や子供は一切関与を許されませんでした。儀式の準備段階では、男性たちが仮面や衣装を製作します。仮面は、精霊を表現したもので、木や樹皮、動物の皮で作られました。衣装は、グアナコの皮や鳥の羽で作られ、精霊の姿を模したものでした。

儀式の本番では、仮面をかぶった男性たちが精霊に扮し、神話の世界を再現します。彼らは、歌や踊りを通じて、神話の登場人物になりきり、精霊の力を借りて少年たちを試練にかけます。少年たちは、精霊たちから与えられる困難な課題をクリアしなければなりません。

ホインの儀式は、セルクナム族の精神世界や神話的世界観を反映したものでした。彼らは、精霊の力を借りることで、少年たちを大人の男性として認め、社会の一員として迎え入れたのです。また、ホインは、男女の社会的地位を決定する上でも重要な役割を果たしていました。ホインを経験した男性は、集落の中で尊敬され、重要な役割を与えられました。

消えゆく文化 – セルクナム族の衰退

19世紀末から20世紀初頭にかけて、セルクナム族は急速に衰退していきました。その背景には、入植者との土地をめぐる争いや虐殺、疫病の蔓延などがありました。

1880年代から、チリとアルゼンチンの入植者がフエゴ島に流入し始め、セルクナム族の狩猟地を奪っていきました。入植者は、グアナコを乱獲し、その肉を輸出用に狩猟していました。また、彼らは、セルクナム族を「野蛮人」とみなし、虐殺を行いました。1890年代には、入植者による大規模な虐殺事件が相次ぎ、セルクナム族の人口は激減しました。

さらに、天然痘などのヨーロッパから持ち込まれた疫病が蔓延し、セルクナム族の間で大きな被害を出しました。彼らは、免疫を持たなかったため、感染すると高い確率で死亡しました。1920年代までに、セルクナム族の人口は、わずか数百人にまで減少してしまいました。

セルクナム族の文化も、急速に失われていきました。伝統的な狩猟や採集の生活は、入植者による土地の収奪によって不可能になりました。また、子供たちは、入植者によって運営される学校に通わされ、スペイン語を強制的に学ばされました。その結果、セルクナム語を話す人々は激減し、伝統的な知識や技術は失われていきました。

現在、セルクナム族の純血の子孫は、わずかに数十人が残るのみです。彼らは、先祖の文化を継承しようと努力していますが、言語や伝統的な生活様式の多くは既に失われています。セルクナム族の悲劇は、近代化の過程で先住民族が直面した困難を象徴的に示しています。

セルクナム族が残した遺産

セルクナム族の文化は、現在では失われてしまいましたが、人類学者や芸術家たちによって記録され、現代に伝えられています。

セルクナム族の文化を記録した代表的な人物が、オーストリア出身の神父マルティン・グシンデです。グシンデは、1920年代にフエゴ島を訪れ、セルクナム族の生活や儀式を詳細に記録しました。彼は、セルクナム語を学び、彼らの神話や世界観を理解しようと努めました。グシンデの記録は、現在でもセルクナム族研究の基礎となっています。

また、チリ人の写真家マルティン・チャモロは、1920年代にセルクナム族の写真を大量に撮影しました。チャモロの写真は、セルクナム族の日常生活や儀式の様子を生き生きと伝えており、貴重な歴史的記録となっています。

セルクナム族の文化は、現代のアーティストたちにも大きな影響を与えています。チリ人の彫刻家マリオ・イラレタは、セルクナム族の仮面や彫刻に着想を得た作品を制作しています。また、アルゼンチン人の作家ルイス・セプルベダは、小説「フエゴ島の光」の中で、セルクナム族の悲劇を描いています。

セルクナム族の文化は、博物館などでも保存・展示されています。チリのプンタアレナスにある「マルティン・グシンデ博物館」は、グシンデが収集したセルクナム族の工芸品や写真を展示しています。また、アルゼンチンのウシュアイアにある「世界の果ての博物館」でも、セルクナム族の文化を紹介するコーナーがあります。

結論 – セルクナム族から学ぶこと

セルクナム族の悲劇的な歴史は、近代化の過程で先住民族が直面した困難を象徴的に示しています。彼らの文化は、わずか数十年の間に失われてしまいましたが、その遺産は現代にも受け継がれています。

セルクナム族の歴史から、私たちは文化の多様性の尊重の重要性を学ぶことができます。グローバル化が進む現代社会において、少数民族の文化や言語を保護していくことは急務です。また、先住民族の権利を尊重し、彼らの文化を継承していく取り組みも必要でしょう。

セルクナム族の文化は、自然との共生や精神性の重要性についても示唆を与えてくれます。彼らは、自然の一部として生き、精霊との交流を大切にしていました。現代社会は、物質的な豊かさを追求する一方で、精神的な豊かさを失いつつあるように思えます。セルクナム族の世界観は、私たちに、自然との共生や精神性の重要性を再認識させてくれるでしょう。

セルクナム族の悲劇を繰り返さないためにも、私たちは彼らの歴史から学び、文化の多様性を尊重していく必要があります。セルクナム族が残した遺産を未来に伝えていくことが、私たちに課せられた責務ではないでしょうか。

あとがき

本記事を執筆するにあたり、セルクナム族について多くのことを学びました。彼らの文化の豊かさと、その悲劇的な歴史に、深い感銘を受けました。

セルクナム族について初めて知ったのは、大学時代に読んだルイス・セプルベダの小説「フエゴ島の光」がきっかけでした。その後、機会があれば現地を訪れ、セルクナム族の足跡を辿ってみたいと考えていました。

数年前、その夢が実現し、フエゴ島を訪れる機会に恵まれました。現地では

、セルクナム族の子孫の方々や、彼らの文化を研究する人類学者の方々にお会いし、お話を伺うことができました。

島の各地に点在する遺跡や博物館を訪れ、セルクナム族の生活や文化に思いを馳せました。特に印象的だったのは、マルティン・グシンデ博物館で見た、グシンデ神父が撮影したセルクナム族の写真の数々です。一枚一枚の写真から、彼らの誇り高く、そして悲しげな眼差しが伝わってきました。

現地の方々との交流を通じて、セルクナム族の悲劇がいかに現代社会と関わっているかを実感しました。グローバル化の波は、今なお世界各地の少数民族の文化を脅かしています。私たちは、セルクナム族の歴史から学び、文化の多様性を尊重していく必要があるのです。

本記事が、セルクナム族の存在を知るきっかけとなり、先住民族の文化や権利について考える機会となれば幸いです。私自身、セルクナム族との出会いを通じて、多くのことを学びました。彼らの歴史と文化を、次の世代に伝えていきたいと思います。

コラム:マルティン・グシンデ – セルクナム族研究の第一人者

マルティン・グシンデは、オーストリア出身の神父で、20世紀前半のセルクナム族研究の第一人者です。グシンデは、1920年代にフエゴ島を訪れ、セルクナム族の生活や文化を詳細に記録しました。

グシンデは、1886年にオーストリアで生まれました。1912年に司祭に叙階され、1920年にチリに派遣されました。チリでの布教活動の傍ら、グシンデは先住民族の研究に興味を持つようになります。

1922年、グシンデはフエゴ島を訪れ、セルクナム族の調査を開始しました。当時、セルクナム族はすでに絶滅寸前の状態にありましたが、グシンデは彼らの言語や文化の記録に尽力します。グシンデは、セルクナム語を学び、彼らの神話や世界観を理解しようと努めました。また、セルクナム族の日常生活や儀式の様子を、写真や映像で記録しました。

グシンデは、1924年にヨーロッパに戻った後も、セルクナム族の研究を続けました。彼は、フエゴ島で収集した資料をもとに、セルクナム族に関する数多くの論文や著作を発表しています。グシンデの業績は、セルクナム族研究の基礎を築いたと言えるでしょう。

しかし、グシンデの研究姿勢には批判も存在します。彼は、セルクナム族を「未開の野蛮人」とみなし、ヨーロッパ文明の優位性を前提としていたと指摘されています。また、グシンデの写真には、セルクナム族を人類学的な「見世物」として扱っているような側面もあります。

グシンデの功績と限界は、20世紀前半の人類学研究の在り方を象徴しているように思えます。彼の記録は貴重な歴史的資料となっている一方で、植民地主義的な眼差しを免れてはいません。現代の私たちは、グシンデの業績を批判的に検討しつつ、セルクナム族の文化や歴史を学んでいく必要があるでしょう。

コラム:映画『ラストシャーマン』について

2015年に公開されたチリ映画『ラストシャーマン』は、セルクナム族の末裔を主人公とした物語です。監督はパブロ・ララン、主演はホセ・サッチが務めました。

物語は、1950年代のフエゴ島が舞台です。主人公のマルティンは、セルクナム族の末裔で、伝統的なシャーマンの一族の生まれです。しかし、マルティンは、近代文明に憧れ、島を出て、サンティアゴで暮らしています。

ある日、マルティンは、先祖の霊からのお告げを受け、故郷のフエゴ島に戻ることを決意します。島では、セルクナム族の伝統を守ろうとする老人と出会います。マルティンは、老人から先祖の知恵を学び、シャーマンとしての使命を自覚していきます。

『ラストシャーマン』は、セルクナム族の文化を現代に伝えようとする試みとして注目を集めました。映画は、セルクナム族の伝統的な生活や儀式を丁寧に再現しており、彼らの精神世界を描き出すことに成功しています。また、近代文明とセルクナム族の伝統の対立を、主人公の心の葛藤を通して描いている点も興味深いです。

一方で、映画には脚色された部分も少なくありません。監督のララインは、セルクナム族の文化を尊重しつつも、現代人の感性に訴えかけるためのフィクションを織り交ぜています。また、セルクナム族の末裔を主人公にしながらも、彼らの現状には触れていない点も批判の的となりました。

『ラストシャーマン』は、セルクナム族の文化を知るための入り口としては有効でしょう。しかし、同時に、映画という表現媒体の限界も意識する必要があります。フィクションと現実の境界を見極めつつ、セルクナム族の真の姿に迫っていくことが求められるのです。

参考文献

  • Borrero, L. A. (2001). “El poblamiento de la Patagonia: Toldos, milodones y volcanes”. Emecé Editores.
  • Chapman, A. (2010). “European Encounters with the Yamana People of Cape Horn, Before and After Darwin”. Cambridge University Press.
  • Gusinde, M. (1982). “Los indios de Tierra del Fuego: Los Selk’nam”. Centro Argentino de Etnología Americana.
  • Martinic, M. (1999). “Dawsonians o Selkkar: otro caso de mestizaje aborigen histórico en Magallanes”. Anales del Instituto de la Patagonia, 27, 79-88.
  • Prieto, A. (2020). “Selk’nam: La etnia que habitó el fin del mundo”. National Geographic.
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