時事・トレンド
PR

北朝鮮による日本人拉致問題:有本明弘さんの死去と拉致問題の現状

oufmoui
記事内に商品プロモーションを含む場合があります
スポンサーリンク

有本明弘さんの死去

2月15日午前0時すぎ、北朝鮮に拉致された有本恵子さんの父、有本明弘さんが96歳で老衰のため亡くなりました。 有本さんは1983年、留学先のイギリスからヨーロッパを旅行中に拉致された娘・恵子さんの帰国を求め、妻の嘉代子さん(2020年死去)と共に長年、拉致被害者家族会で活動してきました。全国各地で講演や署名活動を行い、被害者の早期帰国を訴え、アメリカ合衆国のトランプ大統領(当時)にも面会し、協力を求めていました。 恵子さんの65歳の誕生日である1月12日には、自宅でケーキや赤飯を用意して祝っており、その際に「もうちょっと、待っとけ」と娘へのメッセージを残していました。 遺族は17日、記者会見を行い、再会を果たせないまま亡くなった明弘さんの無念さを語りました。 長男の隆史さんは「父は最後まで拉致問題解決のために何をするべきか考え続け、集会への参加やトランプ大統領との再会を望んでいました」と明弘さんの強い意志を伝えました。 四女の郁子さんは、亡くなる数日前に「恵子のことは残念だったが、きょうだい仲良く暮らしていけよ。自分は家族に囲まれて幸せな人生だった」と言っていたと明かし、穏やかな最期だったことを報告しました。 長女の昌子さんは「北朝鮮に行って連れて帰れるものなら連れて帰ってやりたい」と強い思いを吐露しつつも、現実を受け止め、恵子さんへのメッセージとして「とにかく頑張って生きていてください」と述べました。五女の絵美さんは「父と母が亡くなりましたが、私たちきょうだいはまだ元気でいます。家族をはじめ、日本国民みんなが待っているということを伝えたいです」と語りました。

政府認定拉致被害者の親の状況

政府が認定している拉致被害者のうち、安否がわかっていない12人の親で、子どもとの再会を果たせずに亡くなった人は、2002年の日朝首脳会談以降だけでも明弘さんで9人になります。 高齢化する被害者家族の中で、親世代が存命のうちに被害者の早期帰国に向けた政府の取り組みが求められています。 現在、政府認定拉致被害者の親で存命なのは、横田めぐみさんの母、早紀江さんだけとなりました。

有本恵子さんの拉致

有本恵子さんは、1983年、ロンドン留学を終え、ヨーロッパを旅行中に消息を絶ちました。 当時23歳だった恵子さんの最後の連絡は、デンマークのコペンハーゲンから家族に送られた手紙でした。 5年後の1988年、別の拉致被害者である石岡亨さんから届いた手紙によって、恵子さんが北朝鮮にいることが判明しました。 手紙には恵子さんや赤ちゃんの写真が同封され、北朝鮮で暮らしていることが記されていました。 2002年3月、よど号ハイジャック事件の実行犯の元妻が、法廷で有本さんの拉致に関与したと証言しました。 同年9月の日朝首脳会談で北朝鮮は有本さんの拉致を認めましたが、「石岡さんと結婚し子どもも産まれたが、1988年11月、一家でピョンヤンの北にある招待所に移った翌日に、暖房用の石炭ガス中毒で家族全員が死亡した」と説明しました。 しかし、北朝鮮側の説明は証拠がなく、政府は信ぴょう性に疑問を抱いています。

政府の取り組みと国際的な動き

政府は、拉致問題の解決に向けて様々な取り組みを行っています。 2023年8月には拉致問題に関する中学生サミットを開催し、若年層への啓発を強化しています。 また、政府は北朝鮮向けラジオ放送「ふるさとの風」や「しおかぜ」を通じて、拉致被害者へのメッセージを発信し続けています。 さらに、政府主催のコンサートやシンポジウムなども開催されており、拉致問題への関心を高めるための様々な活動が続けられています。 国連人権理事会は2024年11月、北朝鮮の人権状況を審査し、拉致問題の早期解決を求める報告書を採択しました。 報告書では、「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」の多くの規定が慣習国際法になっていると指摘し、北朝鮮の責任を改めて強調しています。

その他関連情報

2019年には、当時アメリカ合衆国大統領だったトランプ氏から、有本明弘さんの元に拉致問題解決への姿勢を示す手紙が届いていました。 有本明弘さんは2017年と2019年にトランプ大統領と面会し、解決への協力を求めていました。 公明党は、国際協調による拉致問題の早期解決を主張しています。

スポンサーリンク
ABOUT US
雑談力向上委員会
雑談力向上委員会
編集部
記事URLをコピーしました