鉄人・玉鷲、40歳で史上最年長金星獲得!2025年名古屋場所での躍進とベテランの輝き

はじめに
大相撲界の「鉄人」として知られる西前頭4枚目の玉鷲関が、2025年の名古屋場所で歴史的な快挙を成し遂げました。40歳という年齢でありながら、新横綱・大の里関を破り、昭和以降では最年長となる金星を獲得したのです。このニュースは、相撲ファンのみならず、多くの人々に感動と勇気を与えています。今回は、玉鷲関の最新の活躍を中心に、彼の相撲人生と今後の展望について深掘りしていきましょう。
40歳8ヶ月での偉業達成!最年長金星と殊勲賞の輝き
大相撲名古屋場所10日目、2025年7月22日のことです。玉鷲関は、結びの一番で新横綱・大の里関(25歳)と激突しました。横綱を相手にベテランの意地を見せ、土俵際で突き落としという逆転技で勝利を収めましたね。この一番は、玉鷲関にとって自身8個目の金星となりました。しかも、40歳8ヶ月での金星獲得は、昭和以降では最年長記録という歴史的な快挙なのです。
この勝利は、単なる一勝に留まりませんでした。玉鷲関は、この金星が大きく評価され、名古屋場所千秋楽の2025年7月27日に開催された三賞選考委員会で、無条件で殊勲賞を獲得しました。40歳8ヶ月での三賞受賞は、旭天鵬関の40歳2ヶ月を抜き、歴代最年長記録の更新となります。 彼は14日目まで10勝4敗という好成績を収め、場所を盛り上げましたね。
連続出場記録更新中!「鉄人」の揺るぎない精神力
玉鷲関の「鉄人」という異名は伊達ではありません。彼は2004年1月の初土俵以来、一度も休場することなく土俵に上がり続けているのです。2024年9月には、通算連続出場回数を1630回に伸ばし、史上1位の青葉城関に並ぶという金字塔を打ち立てました。 師匠である片男波親方も、この記録には「夢にも思わなかった」と驚きを隠せない様子です。
玉鷲関自身は、長く相撲を取り続けられる秘訣について、「自分の体は自分だけのものじゃない、家族の体」だと語っています。 家族への責任感が、彼の強い精神力を支えているのですね。また、相撲に対する考え方も独特で、「一日一番という言葉は好きじゃない」と話しています。 次の場所や、その先のことを考えて無理をせず、負ける時はあっさり負ける、その代わり負けをしっかり納得するという姿勢が、彼の怪我の少ない頑丈な体を作っているのかもしれません。
30代からさらに進化!遅咲きの努力家
玉鷲関の経歴は、他のモンゴル出身力士と比べても異色です。モンゴルでは相撲経験がほとんどなく、サッカーをしていたそうです。 19歳で日本の相撲界に飛び込み、本格的に相撲を始めました。 ホテルマンを目指して大学に進学していた彼が、自分の怪力を試したいと来日し、鶴竜関(現・音羽山親方)の紹介で片男波部屋に入門したというエピソードは、彼の好奇心と挑戦する姿勢を物語っています。
入門後3年間は、相撲に集中するため他の力士と一言も会話せずに稽古に打ち込んだといいます。 片男波親方からは、モンゴル式の四つ相撲ではなく、徹底した突き押し相撲を鍛えられました。 新入幕は2008年9月場所と、遅咲きではありますが、30代になってからさらに強さに磨きがかかったと評判です。 2019年1月場所では34歳2ヶ月で幕内初優勝を果たし、年6場所制以降では旭天鵬関に次ぐ史上2位の高齢記録(当時)を樹立しました。 そして2022年9月場所では2度目の幕内優勝を飾っています。
彼の相撲スタイルは、突き、押し、小手投げを得意としており、特に押し出しが全決まり手の52%を占めています。 立ち合いのスピードと瞬発力を重要視しており、年齢を重ねて体力が衰えてきているからこそ、より相手に近い位置で立つことで威力を増す工夫をしているそうです。
不屈の精神で相撲道を極める玉鷲関のこれから
玉鷲関は、40歳を迎えてもなお、その力強い相撲で私たちを魅了し続けています。 「生涯現役」を体現する彼の姿は、多くのシニア層にも勇気を与え、「人生100年時代」を生きる上での健康や生きがいづくりのヒントとしても注目されています。
今回の名古屋場所での活躍は、玉鷲関がまだまだ大相撲界の第一線で戦えることを証明しました。今後も、その「鉄人」ぶりと、誰よりも相撲を楽しむ姿勢で、私たちを驚かせ続けてくれることでしょう。次の場所での活躍も、今から楽しみでなりませんね。