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青山学院大学・黒田朝日選手、大阪マラソンで日本学生最高記録を樹立

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大阪マラソンでの活躍

青山学院大学3年で新主将の黒田朝日選手は、2月24日に行われた大阪マラソンで、初マラソンながら2時間6分5秒の好記録を樹立し、日本学生最高記録を更新しました。日本人選手の中では3位に相当する6位という結果でした。レースでは、30キロ地点以降は苦しい表情も見せながらも、「意地でくらいつけた」と語っており、ゴールでは大きなガッツポーズを見せていました。この記録は、2月の別府大分毎日マラソンで先輩の若林宏樹選手が樹立した日本学生記録(2時間6分7秒)を2秒上回るものでした。黒田選手は、若林選手の記録を目標にしていたと明かしており、それを超えたことに安堵と喜びを表していました。 レース終盤には雪が舞う厳しいコンディションの中、冷たい向かい風にも耐えながら走り抜きました。

給水所でのハプニングと冷静な対応

レース序盤、NHKのテレビ中継で給水に関するインタビューを受けた黒田選手は、周囲の選手に合図を出せば道を譲ってくれるだろうとコメントしていました。しかし、実際には10キロ手前の給水所で、他選手のボトルが黒田選手のボトルに引っかかるハプニングが発生しました。解説者の花田勝彦氏は、初マラソンではよくあることだと指摘し、実況アナウンサーは補助員が対応してくれるとフォローしていました。黒田選手自身はマイボトルを確保でき、このハプニングは大きな影響を与えませんでした。この一件は、マラソンにおける予期せぬ出来事への対応力の重要性を示唆する出来事となりました。

亡きチームメイトへの追悼

黒田選手は、レースに臨むにあたり、昨年11月に悪性リンパ腫と診断され、1月に亡くなったチームメイトの皆渡星七さんの名前をシューズに書き込み、「皆渡星七パワー!」と記したシューズで走りました。大阪は皆渡さんの地元でもあり、黒田選手は「彼の思いと一緒に走りたい」と語っていました。 ゴール後には、「皆渡の件があって、とても悲しいタイミングでしたが、彼の分も走りました」と静かに語り、亡き友への深い思いを表明しました。 原晋監督も、黒田選手の記録を称え、皆渡さんに報告するとSNSでコメントしています。

黒田朝日選手のこれまでの実績と将来展望

黒田選手は、岡山市出身で、玉野光南高校時代には全国高校総体3000メートル障害で2位に入賞するなど、早くから頭角を現していました。青山学院大学入学後は、学生3大駅伝で2年から6大会連続で主要区間を走り、区間賞3回、平均区間順位1.83位という抜群の成績を残しています。箱根駅伝では2区で区間新記録を更新するなど、原晋監督から「駅伝男」と呼ばれ、絶対的な信頼を寄せられています。 マラソン初挑戦ながら日本学生最高記録を更新した今回の結果は、黒田選手にとって大きな自信となり、今後の学生駅伝での活躍に繋がるものと期待されています。 黒田選手自身は、世界陸上への出場を目標にしているわけではなく、今回のマラソン経験を駅伝に活かしたいと考えているようです。

原晋監督のコメントと期待

原晋監督は、黒田選手の大阪マラソンへの挑戦について、先輩である若林選手の活躍を踏まえ、「若林がマラソンの概念を変えてくれた。2時間6分前半は難しくない、と。気象条件が良ければ、黒田朝日は2時間5分台もありえます」と高い期待を寄せていました。 レース前日の調整は順調に終わり、当日の気象条件次第では、さらなる好記録も期待されたものの、天候は雪が舞う厳しいコンディションとなりました。 それでも黒田選手は、原監督の期待に応え、日本学生最高記録を更新する素晴らしい結果を残しました。

コースの誤りとアクシデント

大阪マラソンでは、30キロ地点付近で先頭集団が折り返し地点を約20メートル間違えるアクシデントが発生しました。このミスにより、約10秒のロスタイムが生じました。大会事務局は、カラーコーンの設置に不備があったことを認め、謝罪しています。黒田選手は、このアクシデントにも動じることなく、最後まで走りきりました。

黒田選手の家族

黒田選手の父・将由さんは、法政大学時代に2001年の箱根駅伝で好成績を収めており、その活躍は黒田選手にも遺伝していると言えるでしょう。弟の然さんも青山学院大学に在籍しており、妹の六花さんも長距離選手として活躍しています。 家族のサポートも、黒田選手の活躍を支えている要因の一つと考えられます。

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