生島ヒロシ氏、TBSラジオ番組緊急降板とその後
TBSラジオ番組緊急降板
2025年1月27日、フリーアナウンサーの生島ヒロシ氏(当時74歳)が、TBSラジオの番組「生島ヒロシのおはよう定食」と「生島ヒロシのおはよう一直線」を同日放送をもって緊急降板したことが発表されました。TBSラジオは公式声明で、「生島氏にTBSグループ人権方針に背く重大なコンプライアンス違反があったことを確認したため、番組出演の継続が不可能と判断し、同氏の番組降板を決定いたしました」と発表しました。コンプライアンス違反の詳細については、関係者のプライバシー保護の観点から説明を控えられるとしています。 番組は2月3日に7000回放送を予定していましたが、6995回で終了となりました。 複数の報道によると、生島氏による複数の番組関係者へのハラスメント行為があり、番組を離れたり退職する職員が相次いでいたとされています。降板決定は1月27日に行われたとされています。生島氏は1976年にTBSに入社し、1989年に独立、生島企画室を設立して会長に就任、フリーアナウンサーとして活躍していました。
生島ヒロシ氏のキャリアと活動
生島ヒロシ氏は、1950年12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。1971年に法大経営学部を中退して渡米し、1975年にカリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科を卒業。1976年にTBSに入社し、アナウンサーとして活躍しました。1989年に独立し、生島企画室を設立して会長に就任。フリーアナウンサーとして、テレビやラジオ番組の司会などを務めていました。 長寿番組であったTBSラジオの「生島ヒロシのおはよう定食」「生島ヒロシのおはよう一直線」は、1998年4月6日にスタートし、降板時点では27年間放送が続いていました。 また、生島企画室は、女性アナウンサーを多く輩出していることでも知られています。 2024年7月には、コミュニティFM向け番組配信サービスMUSIC BIRDで、親子で出演する番組「カモン!エヴリバディ」を開始していました。
生島氏に関する過去の報道
2022年12月には、朝日新聞社の「相続会議」で相続に関するインタビューに答えています。このインタビューでは、バブル崩壊時に不動産投資などで10億円の借金を背負った経験や、友人の相続トラブルを目の当たりにした経験から、マネープランや相続に関心を持ち始めたことなどを語っています。 また、2024年8月には、NHKハートネットTV「私のリカバリー」に出演し、バブル崩壊後の挫折、義母の認知症介護、東日本大震災での妹の喪失など、人生の困難な経験とそれらからの回復について語っています。
降板後の動向
降板発表後、生島氏は芸能活動を無期限で自粛すると発表し、謝罪文を発表しています。 その謝罪文の中で、ライフワークであったラジオ番組をこのような形で降板せざるを得なかったことを痛恨の極みと述べています。 TBSラジオは、降板後の番組放送については対応を検討中であると発表しています。
その他
記事作成に使用した情報源は、Yahoo!ニュース、スポニチアネックス、女性自身、日刊スポーツ、MUSIC BIRD、相続会議、NHKハートネットTVの記事です。 これらの記事は、生島ヒロシ氏のTBSラジオ番組降板に関する報道と、氏のキャリアや過去のインタビュー内容、降板後の動向などを伝えています。